思い出売ります・買います!!

『懐かしい玩具と駄菓子のある海辺のカフェCOASTLINE』(コーストライン)

1979年よりキャンピングカーで日本一周して収集した「懐かしい玩具」達を展示、販売するスペースとして日本三景「天橋立」の近くで1983年4月「コーストライン」は誕生しました。

定休日 毎週水曜日 夏期〔7月下旬~8月下旬〕は定休日無し
営業時間 11:00~20:00(最終オーダー19:30)

冬季(12月~2月)は定休日の水曜日以外にも、気温、天気の状況によっては予告なくお休みする場合がありますのでご注意願います。

〒626-0225 京都府宮津市日置15-10   
 コーストライン  TEL0772-27-1447

団塊の世代に贈るアイビールックの秘密「VAN」

テーマ:ブログ
2008年6月2日の報道ステーションの特集は団塊の世代に贈るアイビールックの秘密「VAN」でした。

あなたの周りにこだわりを持った50~60歳代の男性はいませんか?
その男性はきっと青春時代に「VAN」の洗礼を受けて
今も体の中にはしっかりと「アイビー」の血が流れているはず!
アイビーを介してT.P.Oを学び、若者の伝道師様な存在だったのが石津謙介氏だった。

VANの活動は服飾生活だけに眼定されることなく、青山に「VAN99ホール」といったイベントスベースを開設したり、当時まだあまり知られていなかったアメリカンフットボールの普及につとめ、社内にわが国最初の社会人チーム「ヴァンガーズ」をつくるなど当時の若者文化のリーダー的役割を果たした功績は非常に大きい。
「TPO」という言葉は石津の造語であるが「ファッションとは衣食住、ライフスタイル全般のことである」というのが持論である。
「私は流行は作らない。風俗をつくる」

かつて「VAN」ブランドの総帥として「アイビーの神様」と呼ばれた石津謙介氏。
その当時の、60~70年代のアイビー風俗を振り返りながら、
今も尚、脈々と生き続けるアイビ-・トラッドの世界を紹介します。

1951年、大阪に産声を上げたVANヂャケット。
VANの送り出したアイビールックは1960年代当時の若者達に爆発的なブームを起こし、その後の若者立ちの思想文化にまで大きな影響を与えました。
VANがこの世の送り出した、洋服、ノベルティ、コマーシャルの数々。
「VAN」とは一体何だったのか。

「流行に左右されない男の生きざまが伺える組み合わせこそおしゃれの真髄」
「形を着せるのではなく男の誇りを着る」
ボタンダウンを愛した私たちの世代には、男の粋の伝道師であり先生のような存在でした。
かくいう私も高校生の頃より「アイビールック」(厳密に言うとトラッドの世代)の洗礼を受け、単なるファッションにとどまらず、生き方そのものを大いに学んだものです。

『アイビー』と『トラッド』・・・
●アイビーとは、1960年代に東京のみゆき通りに集まった流行に敏感な若者「みゆき族」の間で発生した服飾文化で、後にトラディッショナルなファッション分野として定着したスタイルのこと。

アメリカ東海岸の名門私立大学グループ「アイビー・リーグ」である6大学の学生の間で広まっていたファッションを、当時の日本の若者は洗練されたイメージとして捉え、比較的上品に着こなすトラディッショナルな風俗として広まった。特に、当時一世を風靡した株式会社ヴァンヂャケットの石津謙介がこのファッションの提唱者として、この流行文化をファッションジャンルの一部として定着させた。ボタンダウンシャツを基調とする。ジャケットは3つボタン上ふたつ掛け。

「アイビー」にはニューイングランドのエリート学生が着こなす優等生的なスタイルから、アメリカ的バンカラ風にそれを着崩したスタイルまで幅広い。中でも象徴的なアイテムとして、三つボタンブレザー、ボタンダウン・シャツ、チノ・パンツ、コイン・ローファーなどがある。

●トラッドとはトラディショナル・スタイル(traditional style)伝統的メンズ・スタイルのことで、特に米国東部の伝統的テキスタイルをいうことが多く、アメリカン・トラディショナルとも呼ばれる。略してトラッドともいう。トラデッショナル(トラッド)英語の「伝統的な」という意味であるが、アイビーの数年後にブームとなり基本的にアイビーと同義語であるが、米国のルーツである英国の伝統的トラディショナルスタイルをベースとする。ジャケットは3つボタン段返り中ひとつ掛け。
ファッションにおいて、「伝統を重んじるスタイル」1970年代前半(1972年がピーク)に流行る。

機能的でスポーティーな感覚のオーソドックスなスタイルで質感にこだわる。広くブリティッシュ・トラディショナルや、さらには同様な感覚をもつ女性のファッションを含めていうこともある。服装だけでなく、背景にある特有のライフスタイルを包含して使う。

しかし、そんな多大な影響力を誇った「VAN」も昭和53年4月に倒産してしまいます。
倒産してからわずか2ヵ月後、現:マガジンハウス(当時平凡出版)発刊の「POPEYE」誌6月10日号で「ありがとうVAN」「VANが先生だった」と題して特集号が出ました。
多くの週刊誌で石津氏の経営者失失格ぶりが書き立てられましたが
「POPEYE」は違っていました。
「僕たちはVANの服でアメリカの学生生活を知りVANのキャンペーンでスポーツライフに目覚めたんだ。
今僕たちは言わなければならない★ありがとうVAN!と」


1枚目左:ポパイ創刊号 右:創刊から一年後の1978年6月10日号
アイビーを知らない若い「ポパイ」世代読者に大反響。
売り切れ続出で、皮肉にもこれがきっかけで当初赤字続きだった「ポパイ」は発行部数がグングン伸びて50万部突破!
のちのプレッピーブームへの足がかりとなった記録に残る号です。

倒産しても若者からありがとうと感謝されるVANとは
どんな会社だったのか?!

株式会社ヴァンヂャケット (VAN Jacket inc.) はかつて1960年代に一世を風靡した、日本のアパレル企業である。

1960年代には東京・みゆき通りに集まる流行に敏感な若者、総称して「みゆき族」の間に流行していたニュー・イングランド風のファッションを、アメリカ東海岸名門大学グループ「アイビーリーグ」にちなんで「アイビー」と読んだが、このアイビー・ブームを打ち出したのがこの会社である。

みゆき族の間ではヴァンヂャケット社のブランド「VAN」の紙袋を持つことさえおしゃれであるとされ、「VAN」はその後日本のファッションシーンの最先端を走り続けた。アイビーファッションの信望者の中では神様的扱いのブランドであった。

1970年代になっても人気は衰えず、「JUN」など似たようなアルファベット三文字のブランドも増えた。

青山に本社ビルを構え、企業内クラブとしてアメリカンフットボールのチーム「VANGURDS」を持つなど、当時時代の最先端を行く企業として若者の間の人気は高かった。

それまでの男性ファッションと言えばオンとオフがなくどこへ行くのにも学生服というような時代でしたが「TPO(Time、Place、Occasion)」という概念を提唱しファッションを超越して衣食住、ライフスタイル全般にまで多大な影響を与えた「アイビー」は現在60歳前後の団塊の世代に多大な影響を与える。

そして今でも熱烈な「信者」を持つ、VANの創業者石津氏とはどんな人物だったのか?!

●石津 謙介(いしず けんすけ)
旧制岡山第一中学(現・県立岡山朝日高校)を経て明治大学商科専門部を卒業後、実家の紙問屋の経営を引き継いだが、ファッションへの造詣が深く、当時の中華民国・天津で洋品店に勤務。戦後はファッションメーカー・レナウンに勤務した後1951年に独立し、「VAN」ブランドとして知られる「株式会社ヴァンヂャケット」を設立。大阪・現在のアメリカ村で起業される。のちに東京・青山に本社移転。特にブレザーとボタンダウンシャツをベースとした学生のファッションスタイルを「アイビールック」として紹介し、若者のファッション文化に改革をもたらした。さらに銀座にある「みゆき通り」をそれを着た若者で埋め尽くす「みゆき族」まで登場した。VANの送り出したアイピールックは、l960年代当時の若者達の間に爆発的なブームを呼び、単なる流行現象にとどまらずその後の若者達のライフスタイルや思想にまで大きな影響を与えた。
また1964年東京オリンピックの日本代表選手団の赤い公式ブレザーや、1966年-1968年にはサンケイ・アトムズの試合ユニフォームをデザインした。

1978年に株式会社ヴァンヂャケットが約500億円の負債を抱えて経営破綻(その後再建)した後はフリーのファッションデザイナーとして活動する傍ら、食・住等のライフスタイルを積極的に提案した。「時・場所・場合を考慮して」という意味でよく用いられる「TPO(Time、Place、Occasion)」、「トレーナー」、「フライデーズ・カジュアル」、「スウィングトップ」、「ステンカラーコート」などのファッション用語を定着させたのも彼である。

2005年5月24日、肺炎のため死去。享年93。ファッションに最期までこだわり続け、寝たきりになってもパジャマを着ることを拒絶し、三宅一生デザインのシャツを着たまま息を引き取った。

最晩年は色紙を頼まれると「卒艶」と書かれたという。
出版した「男たちへの遺言-永遠のダンディズム論」には
「90歳になっても艶っぽい、人間いくつになってもロマンティックをわすれなさんな」という意味を込めていたと記されている。
同書の結びには「お洒落な人より洒落た人になれ」
そんな石津氏は生前、献体登録をし、遺言状には「葬儀不要、戒名無用」としたためていた。
献眼登録をした母親の角膜が生かされたこと、白血病で逝った息子の輸血の多く人の力を借りたという感謝の念が背景にあったという。
同時に一時代を築いたVANジャケットの倒産という経験から芽生えた
アンチ拝金主義への思いも見逃せない。
「金儲けの為なら何をやっても許される風潮がはびこっている」嘆かわしいと・・・
常々「ファッションとはライフスタイルをも含めたトータルなもの」と語っていた氏。
人にもそれぞれの死生観がある。氏は死後までもこうした信念を、誇りを持って貫かれました。
永遠のダンディズムとして・・・。

私の人生のバイブルでもあった「MEN‘S CLUB」通巻34号
1963年12月号、当時の売価200円
名物企画の「街のアイビーリーガース」の第二回。
この号より本のタイトルがMEN‘S CLUB」になり、紙面サイズが国際サイズとなります。
この前の号は「男の服飾事典」でサブタイトルが「MEN‘S CLUB」となっていました。
当時のバイブルとも言える『MEN‘S CLUB』メンズ・クラブのコレクションをお楽しみ下さい。








~1979年12月号を最後に卒業しました。


妹版誌「MCシスター」もありました。

私は『アイビー』後の『トラッド』の影響を受けた世代なのですが「アイビー」をより深く研究し最も影響を受けました。

私のワードローブの奥深くに「VANの真っ赤なブレザー」があります。
30年以上も前に、還暦になったら「赤いちゃんちゃんこ」のかわりに着てやろうと買い求めていた物ですが・・・いかんせん体型が様変わりしてしまってちょっと不可能になりましたが(笑)
その精神だけはしっかり受け継いで行きたいものです。

『ありがとうVAN』

過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

コメント

  1. 2008/09/29 12:40
    うちの親父の世代ですね!!
    しかし、すごいこだわりですね!!
  2. 2008/09/29 23:04
    マチャさんコメントありがとうございます。

    お父さんは「VAN」の洗礼を受けましたか?

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プロフィール

コーストライン

『古い玩具など買い取ります!探しています!』
昔懐かしい昭和レトロな品々が押入れや物置に眠っていませんか?
●ブリキのおもちゃ
●セルロイドなどの人形(文化人形)
●ソフトビニールの怪獣や人形
●超合金、変身合体ヒーローもの
●古いポスター、チラシ、ホーロー看板など
●古いレコード(マンガ・ソノシート・グループサウンズ)
●抽選当選品、商店などのマスコット人形(企業キャラクター)
●漫画雑誌(月刊誌、週刊誌、コミックなど)
月刊誌・・・『少年』『少女』『少年画報』『少年ブック』『野球少年』『ぼくら』『漫画王』『小学館の学年誌』『コロコロコミック』『テレビマガジン』など昭和50年頃までの品
週刊誌・・・『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』『少女フレンド』など昭和50年頃までの品
その他・・・増刊号、特集号、別冊付録、サブカルチャーなど。
戦前、戦後~昭和50年頃までの品を中心に探しています。
〒626-0225 京都府宮津市日置15-10  コーストライン TEL 0772-27-1447



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