「墓場鬼太郎」と『ゲゲゲの鬼太郎』水木しげる

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毎週、日曜日に関西テレビで9時00分~9時30分まで新作アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』が放映されています!

鬼太郎といえば大人の為のアニメ「墓場鬼太郎」が関西テレビ(KTV)で深夜放送されてましたがワンクールで終わってしまいました。残念です。

時は昭和30年代―。終戦から10年が経ち高度経済成長が急加速で進む中、富む者は富んだが、社会の底辺では泥まみれになりながらも日々を生き抜いている人々が溢れていた。
そんな社会に幽霊族最後の生き残りとして墓の中から生まれてきた鬼太郎。
地獄とは?この世とは?生きる幸福を考察し尽くした水木しげるの哲学に立ち戻り、元祖・鬼太郎が人間を笑い飛ばし、生きる喜びを謳いあげていく。

オープニング曲は「電気グルーヴ」の歌う「モノノケダンス」カッコイイ!!
妙に頭にこびり付いて気がつけば口ずさんでいます。

「墓場鬼太郎」の公式サイトです。
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
http://www.toei-anim.co.jp/tv/hakaba/

鬼太郎誕生の経緯

1933年から1935年頃にかけて、民話の『子育て幽霊』を脚色した、伊藤正美作の富士会の『ハカバキタロー(墓場奇太郎)』という、『黄金バット』をも凌いだ人気の紙芝居が存在した。

1954年、紙芝居の貸元である阪神画劇社と紙芝居作者として契約していた水木は、同社社長・鈴木勝丸にそれを題材にした作品を描くよう勧められた(加太こうじによると加太が『ハカバキタロー』の話を水木にしたという)。作者承諾の上で、水木はオリジナルの紙芝居『蛇人』『空手鬼太郎』『ガロア』『幽霊の手』の4作を仕立てた。これが鬼太郎シリーズの原点である。

だが、奇抜な展開で評判を呼んだ『空手鬼太郎』を除き、鬼太郎シリーズはそれほど人気が出ず、それ以降は製作されなかった。この水木版紙芝居の鬼太郎作品は現存しないが、伊藤版の一部は加太こうじの『紙芝居昭和史』などの書籍で部分的に見ることが出来る。ちなみに鬼太郎が墓場から生まれた片目の子供という設定(『蛇人』より)と目玉おやじの登場(『空手鬼太郎』より)はこの頃からである。 鬼太郎少年の実際のモデルは水木しげる氏の親戚の子供である。 その後、貸本漫画家に転身した水木は、1959年に兎月書房発行の怪奇短編マンガ誌『妖奇伝』に「幽霊一家」を発表。現在の鬼太郎の基礎が定まった。この時期の鬼太郎はまだ人間の味方ではなく、関わった人々に怪奇な結末をもたらす不吉な少年というモチーフで、この路線は後年楳図かずおが発表した『猫目小僧』などに継承されている。『妖奇伝』第2号では第2作「墓場鬼太郎」を掲載するも、一般には全く人気が出ず廃刊となる。だが鬼太郎シリーズは熱心な読者からのファンレターがあり、1960年に同じく兎月書房から『墓場鬼太郎』と題した怪奇短編マンガ誌にて、「地獄の片道切符」(第1巻)「下宿屋」(第2巻)「あう時はいつも死人」(第3巻)などのシリーズ諸作が発表された。ちなみに「下宿屋」でねずみ男がシリーズに初登場している。

それまで水木は兎月書房の専属に近い形だった。だが経営難の兎月書房から原稿料が一切支払われなくなり、憤慨した水木は長井勝一の三洋社に移籍。『鬼太郎夜話』シリーズ「吸血鬼と猫娘」「地獄の散歩道」「水神様が町にやってきた」「顔の中の敵」を順次発表した。「幽霊一家」~「顔の中の敵」までは一連の物語になっており、後年にガロ版「鬼太郎の誕生」及び『鬼太郎夜話』としてリメイクされている。しかし、5冊目「カメ男の巻」を出す段階で三洋社の社長が入院、そのドサクサで原稿が行方不明となり、「カメ男の巻」は幻の作品となってしまった。

一方、兎月書房は『墓場鬼太郎』の発行を続け、鬼太郎シリーズの続編を竹内寛行に描かせていた。やがて水木は兎月書房と和解し、1962年に読み切り作品『怪奇一番勝負』『霧の中のジョニー』を描く。その後、兎月書房も倒産。水木は、1964年にかけて佐藤プロで、読みきり作品『おかしな奴』、『ボクは新入生』、『アホな男』を発行。東考社でも『霧の中のジョニー』の続編と予定されていた『ないしょの話』を発行した。この頃になると初期の不幸を呼ぶ少年から、後の少年誌に登場する様な親しみやすいキャラクターへと変貌している。

1965年、劇画路線を推進していた『週刊少年マガジン』で読み切り作品『墓場の鬼太郎』「手」が掲載された。鬼太郎作品、初の大手出版社雑誌掲載である。当初は不定期掲載で人気も出ず、3話で打ち切りを検討された。だが夏休みが終わる時期に、当時の貸本読者や大学生たちからの激励の葉書が届き、打ち切りは回避される。

1967年からは正式な連載作品となる。内容も「怪奇物語」から「正義の鬼太郎が悪い妖怪を退治する」という少年誌向けの内容にシフトし、現在の鬼太郎の原型がようやく完成するに至り、徐々に人気を増していった。妖怪という言葉が作中に用いられる様になったのもこの頃からである(貸本時代には使われていなかった)。貸本時代の作品のリメイクも多く、「霧の中のジョニー」を「吸血鬼エリート」に、「おかしな奴」を「陰摩羅鬼」に、「ボクは新入生」を「朧車」に、「ないしょの話」を「大海獣」にと、多少内容をアレンジして再執筆している。また連載時は折からの怪獣ブームの影響が色濃く、怪獣映画さながらの「大海獣」や「妖怪獣」、「毛羽毛現」の恐竜、「白山坊」のモスラのような容姿の巨大蛾などが登場するのもこの時期の特色である。

やがて安定した人気を得た本作は1968年にテレビアニメ化を果たす。それに合わせて編集側から「タイトルが『墓場~』なのは暗すぎるから」との要請で1967年『少年マガジン』11月12日号から作品名を『ゲゲゲの鬼太郎』と改題。水木の代表作として広く知られる様になっていった。アニメの大ヒットから、怪獣ブームが妖怪ブームへと移っていき、雑誌では妖怪特集が組まれ、テレビでも妖怪アニメや特撮が流行るようになるなど、ブームの火付け役ともなった。

また少年漫画誌のみならず、アニメ化に伴って、講談社の『たのしい幼稚園』などの幼年誌の連載も始まる。鬼太郎は子供たちのヒーローとして活躍する一方、貸本時代からのファンや青年向けに『月刊ガロ』で貸本時代のリメイク「鬼太郎の誕生」や「鬼太郎夜話」、『週刊宝石』にはベトナム戦争を題材にした「鬼太郎ベトナム戦記」などの劇画作品にも登場した。

1969年、人気絶頂の最中に『少年マガジン』の連載が終了。翌1970年の『別冊少年マガジン』7月号では連載終了の作品の主人公を描く「その後のまんがスター」という企画があり、南方に渡り最後は平和に暮らす鬼太郎という「その後のゲゲゲの鬼太郎」が掲載された。

今回はそんな元祖「墓場鬼太郎」の世界観を立体化した「妖怪事典」をご紹介します。


カバヤ食品(2001年発売:絶版)『妖怪事典』全18種彩色版

水木しげる氏の妖怪ものは、これまで立体化されたものは少年週刊誌「少年マガジン」に連載されたお子様路線のものが多くて イマイチだったんですが、これは貸本時代の「墓場の鬼太郎」という初期のドロドロしたハードな世界に焦点をあてた立体ものでとにかく出来が素晴らしい!!の一言です。食玩の水木ものではベストなんじゃないかと個人的に思います。彩色版かクリアー版(全18種×2)か、どちらか1個入っていたんですが、混入率は半々くらいかなぁ....?箱を開けてみないと何が出るかわからないブラインドボックスの為、揃えるのに大変苦労したシリーズです。
 
写真の3体はシークレットの『鬼太郎の親父』『鬼太郎の母』『鬼太郎の誕生』です。
親父というと、あの一つ目親父を思い出しますが本来の姿はこういうのだったのです。

『百目』は造型&塗装とも、特に素晴らしい。「悪魔くん」(実写版)の第1話に登場した妖怪で、昔、日東というメーカーが”百目”のソフビを作った事がありますが、あまりに幻で今や高額で手がでません。今回、立体化してくれたのは嬉しいかぎりです。水木妖怪の最高傑作だと思います。

過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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