酒井不二雄って誰???昭和30年代は貸本漫画の黄金期
テーマ:ブログ
2009/03/31 10:25
酒井七馬と藤子不二雄の名前を足して二で割ったような名前?
酒井不二雄っていったい誰???
酒井七馬とは手塚治虫の「新宝島」の共同制作者で大野きよし、峠哲兵と共に大阪マンガ界の重鎮のひとりだった。
写真の貸本マンガ達は宮津市の某元貸本店で1986年頃に、二百冊以上発掘した中の一部です。

①昭和32年金園社発行の『大江戸龍虎丸』です。監督・酒井不二雄、作画・寺田国芳と酒井不二雄の連名になっていますが、どうみても一峰大二?

②発行年の記載ないがおそらく昭和32年~33年。金園社発行の『大菩薩峠』です。監督・酒井不二雄、漫画・一峰大二

③昭和32年金園社発行の『少年探偵・乱歩くん』です。作画・酒井不二雄

④昭和32年金園社発行の『魔人』です。作画・酒井不二雄

⑤昭和32年金園社発行の『眼』です。作画・酒井不二雄、戸山潤、横田正、笹川利行の連作となっています。
こちらには、写真を5枚しか添付していません。
本の中身も、もっと見てみたい方は、下記のサイトもご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/poppy1386/58915317.html
色々と調べてみると【酒井不二雄(ちばてつや)名義で発表された初期の単行本】との記述があるのですが、どう見ても画風が、ちばてつやではない????
本当のところはどうなんでしょう?ご存知の方がおられましたら、教えて下さい。
『劇画』というマンガ表現が産まれて50年。
昭和30年年代の貸本漫画は玉石混交で一人で、いくつものペンネームを使い分けていたり、後のSF界の大御所『小松左京』氏などが貸本漫画を描いていた時期(たしか小松みのる)があるなど、まだまだ探求に値するディープな世界です。
現在50歳位~団塊の世代の方で当時の丹後、中丹地域の貸本屋事情をご存知の方が居られましたら情報求む!
●1950年代は貸本マンガの黄金期
1948年、「ネオ書房」(神戸の貸本屋)型の貸本屋が登場した。それまでの古本貸し出し・保証金制度と異なり、新刊本の会員制信用貸しという制度が新しく、全国にこの方法が広まった。貸本屋は最盛期1950年代には全国で三万軒以上あったと言われ、これだけの店舗が存在すれば、それに付随する商業圏域が成立する。貸本向け単行本(貸本マンガ)は、それを刊行する専門の小規模出版社があり、専用の流通に乗って、全国の貸本屋に供給された。当時の10代の少年少女はこれをむさぼり読んだのである。テレビが一般的でなかった時代の消費文化だし、およそ「作品」と呼べないような代物も多いが、今日でも十分に読める名作も数多い。そして、いい加減な作者はその何十倍といたにせよ、ともかく若い才能が情熱をもって集っていたのである。手塚治虫、楳図かずお、さいとう・たかを、水木しげる、松本正彦、佐藤まさあき、小島剛夕、古賀新一、浜慎二、望月あきら、一峰大二、などなど数え上げたらきりがないほどの作家が育ちました。
●月刊漫画から週刊漫画へ・・・『貸本マンガ』の終焉
1959年3月、小学館『少年サンデー』、講談社『少年マガジン』が創刊。週刊少年誌の誕生である。その後、1963年に『少年キング』、1969年に『少年チャンピオン』『少年ジャンプ』が創刊され、少年・少女マンガは月刊マンガ誌から、週刊マンガ誌に主流が移ってゆく。週刊化に伴って作品自体も、長い連載で多くのページを使ってストーリーを描けるようになり、単なる事件の記述から人物の心理・性格描写などが可能となり、マンガはより厚みを増した。
過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。
***********************************************
『貸本屋のぼくはマンガに夢中だった』
昭和30年代、東京で貸本屋をやっていた一家と「ぼく」の物語。まだ貧しい町並みの片隅に開いた店がどのように運営されていたか。貸本屋の息子の著者がそのころ浴びるように読んでいた貸本マンガがどんなに輝いていたか。つげ義春、水木しげる、白土三平などの貸本マンガはえぬきのマンガ家たちの初期作品はどうだったか。アナーキーな面白さに満ちたあの時代のマンガの思い出をつづる。
第1章 家業は貸本マンガ屋
第2章 貸本マンガで棚があふれ返った
第3章 波に乗って第二店舗を開く
第4章 私を夢中にさせた貸本マンガ
第5章 劇画ブームがやってきた
第6章 夢のかなたへ消えた貸本マンガ
『貸本屋のぼくはマンガに夢中だった』は下記の関連サイトから購入できます。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/poppy1386/58915317.html
酒井不二雄っていったい誰???
酒井七馬とは手塚治虫の「新宝島」の共同制作者で大野きよし、峠哲兵と共に大阪マンガ界の重鎮のひとりだった。
写真の貸本マンガ達は宮津市の某元貸本店で1986年頃に、二百冊以上発掘した中の一部です。

①昭和32年金園社発行の『大江戸龍虎丸』です。監督・酒井不二雄、作画・寺田国芳と酒井不二雄の連名になっていますが、どうみても一峰大二?

②発行年の記載ないがおそらく昭和32年~33年。金園社発行の『大菩薩峠』です。監督・酒井不二雄、漫画・一峰大二

③昭和32年金園社発行の『少年探偵・乱歩くん』です。作画・酒井不二雄

④昭和32年金園社発行の『魔人』です。作画・酒井不二雄

⑤昭和32年金園社発行の『眼』です。作画・酒井不二雄、戸山潤、横田正、笹川利行の連作となっています。
こちらには、写真を5枚しか添付していません。
本の中身も、もっと見てみたい方は、下記のサイトもご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/poppy1386/58915317.html
色々と調べてみると【酒井不二雄(ちばてつや)名義で発表された初期の単行本】との記述があるのですが、どう見ても画風が、ちばてつやではない????
本当のところはどうなんでしょう?ご存知の方がおられましたら、教えて下さい。
『劇画』というマンガ表現が産まれて50年。
昭和30年年代の貸本漫画は玉石混交で一人で、いくつものペンネームを使い分けていたり、後のSF界の大御所『小松左京』氏などが貸本漫画を描いていた時期(たしか小松みのる)があるなど、まだまだ探求に値するディープな世界です。
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●1950年代は貸本マンガの黄金期
1948年、「ネオ書房」(神戸の貸本屋)型の貸本屋が登場した。それまでの古本貸し出し・保証金制度と異なり、新刊本の会員制信用貸しという制度が新しく、全国にこの方法が広まった。貸本屋は最盛期1950年代には全国で三万軒以上あったと言われ、これだけの店舗が存在すれば、それに付随する商業圏域が成立する。貸本向け単行本(貸本マンガ)は、それを刊行する専門の小規模出版社があり、専用の流通に乗って、全国の貸本屋に供給された。当時の10代の少年少女はこれをむさぼり読んだのである。テレビが一般的でなかった時代の消費文化だし、およそ「作品」と呼べないような代物も多いが、今日でも十分に読める名作も数多い。そして、いい加減な作者はその何十倍といたにせよ、ともかく若い才能が情熱をもって集っていたのである。手塚治虫、楳図かずお、さいとう・たかを、水木しげる、松本正彦、佐藤まさあき、小島剛夕、古賀新一、浜慎二、望月あきら、一峰大二、などなど数え上げたらきりがないほどの作家が育ちました。
●月刊漫画から週刊漫画へ・・・『貸本マンガ』の終焉
1959年3月、小学館『少年サンデー』、講談社『少年マガジン』が創刊。週刊少年誌の誕生である。その後、1963年に『少年キング』、1969年に『少年チャンピオン』『少年ジャンプ』が創刊され、少年・少女マンガは月刊マンガ誌から、週刊マンガ誌に主流が移ってゆく。週刊化に伴って作品自体も、長い連載で多くのページを使ってストーリーを描けるようになり、単なる事件の記述から人物の心理・性格描写などが可能となり、マンガはより厚みを増した。
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『貸本屋のぼくはマンガに夢中だった』
昭和30年代、東京で貸本屋をやっていた一家と「ぼく」の物語。まだ貧しい町並みの片隅に開いた店がどのように運営されていたか。貸本屋の息子の著者がそのころ浴びるように読んでいた貸本マンガがどんなに輝いていたか。つげ義春、水木しげる、白土三平などの貸本マンガはえぬきのマンガ家たちの初期作品はどうだったか。アナーキーな面白さに満ちたあの時代のマンガの思い出をつづる。
第1章 家業は貸本マンガ屋
第2章 貸本マンガで棚があふれ返った
第3章 波に乗って第二店舗を開く
第4章 私を夢中にさせた貸本マンガ
第5章 劇画ブームがやってきた
第6章 夢のかなたへ消えた貸本マンガ
『貸本屋のぼくはマンガに夢中だった』は下記の関連サイトから購入できます。
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『劇画』というマンガ表現が産声を上げた時代の貸本漫画コレクション
テーマ:ブログ
2009/03/30 09:48
先日の投稿『劇画の半世紀『まんだらけZENBU』42号が届きました!』http://blogs.yahoo.co.jp/poppy1386/58843529.htmlの中で『劇画』の産みの親である辰巳ヨシヒロ氏の事に少しふれましたが、今回はそんな『劇画』というマンガ表現が生まれたばかりの頃の貸本漫画コレクションをご紹介します。



写真の貸本マンガは昭和33年金園社発行の『ツワモノ』と『スリラーブック』と『ジャガー』です。今や大御所のさいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ、松本正彦、佐藤まさあき、石川フミヤスなどの名前を発見する事ができます。
貸本屋は最盛期である1950年代には全国で三万軒以上あったと言われ、私が育った綾部市にも昭和39年当時で記憶にあるだけでも4~5軒ありました。
この本は宮津市の某元貸本店で1986年頃に、二百冊以上発掘した中の一部です。殆どが昭和32~34年発行のB6判ハードカバーでまさに貸本漫画の黄金期の品ばかりでした。『劇画』というマンガ表現が産声を上げた時代の息吹が感じられます。
1986年頃にはまだ、大宮町と、西舞鶴、中舞鶴にも貸本屋さんがありました。でもB6判ハードカバーではなくコミック本主体で流石に昭和30年代の面影はなくなっていましたが・・・
現在50歳位~団塊の世代の方で当時の丹後、中丹地域の貸本屋事情をご存知の方が居られましたら情報求む!
1950年代後半(昭和30年代前半)に、大阪の小さな貸本専門出版社に集まった若き作家たちは新たなマンガ表現を追求し、その後のマンガのあり方を大きく変えていく!
新しい漫画を志す当時は無名の若手漫画家達が集まって「劇画工房」というものを結成しました。工房に参加した作家の作品には「劇画工房」として作家の名と共に表紙に明記していました。これは一般に言われる「マンガではないのだ」との主張のようでもありました。
劇画工房に参加した作家は、辰巳ヨシヒロ、さいとうたかお、佐藤まさあき、石川フミヤス、松本正彦、桜井昌一、山森ススム、K・元美津などの諸先生方でした。劇画の始まりは、劇画工房の「劇画」から広まって定着したようです。
「劇画」を最初に提唱したのが、辰巳ヨシヒロ氏です。氏は劇場の舞台で行われるようなリアルな新しい漫画を「劇画」と命名したようです。劇画の生みの母は辰巳ヨシヒロで育ての母はさいとうたかおと言うことになりますでしょうか。「劇画」と呼ぶには何ヶ条かの理屈が通ることが必要だったようです。つまり今までの『マンガ』に対してリアリティを追求したのです(忍者物だと「杉浦茂がマンガ」で「白土三平が劇画」という訳です)今では当たり前の表現方法ですが、この頃はとても斬新だったのです。この「劇画」の登場によって今までの手塚治虫氏の表現方法は古いとのレッテルを貼られますが、そこは手塚氏の事、巧みに「劇画」の要素を自分なりに租借して取り込んでいきます。
その代表作が『どろろ』ではないでしょうか?
こちらには、写真を三枚しか添付していません。
もっと見てみたい方は、下記のサイトもご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/poppy1386/58903914.html
過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。
***********************************************
貸本漫画の事をもっと詳しく知りたい方は『貸本マンガRETURNS』がお勧めです。
かつて、子どもたちの生活に寄り添うように、貸本屋があった。そこでは時代劇やミステリ、怪奇もの、少女マンガなど、さまざまな作品が生まれ、愛され、消えていった。水木しげる、つげ義春、さいとう・たかをなど著名な作家を輩出した現代マンガ文化の原点を、多数のビジュアル、資料と共に紹介する貸本マンガ研究の決定版。
序章 貸本マンガの豊かな世界-戦後の貸本業界と貸本マンガ
1章 ヒーロー現る!-時代劇マンガの世界
2章 ミステリ、ハードボイルドの誘惑-探偵ものからアクションまで
3章 少女たちの夢のゆくえ-少女マンガの世界
4章 異世界への誘い-怪奇マンガの世界
5章 青春って何だ!?-貸本マンガの終焉と青春マンガ
終章 貸本マンガに溺れて
貸本漫画の様々なジャンルへの展開、衰退を説く。図版引用は少ないが、「貸本」という文化そのものが世間に与えた影響、出版の裏話も紹介されている。印象に残ったのは、現在「漫画」の主流ともいえる雑誌漫画では有り得ないような貸本漫画の自由さ。関連年表、貸本漫画家・出版社のリストも収録。
『貸本マンガRETURNS』は下記の関連サイトから購入できます。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/poppy1386/58903914.html



写真の貸本マンガは昭和33年金園社発行の『ツワモノ』と『スリラーブック』と『ジャガー』です。今や大御所のさいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ、松本正彦、佐藤まさあき、石川フミヤスなどの名前を発見する事ができます。
貸本屋は最盛期である1950年代には全国で三万軒以上あったと言われ、私が育った綾部市にも昭和39年当時で記憶にあるだけでも4~5軒ありました。
この本は宮津市の某元貸本店で1986年頃に、二百冊以上発掘した中の一部です。殆どが昭和32~34年発行のB6判ハードカバーでまさに貸本漫画の黄金期の品ばかりでした。『劇画』というマンガ表現が産声を上げた時代の息吹が感じられます。
1986年頃にはまだ、大宮町と、西舞鶴、中舞鶴にも貸本屋さんがありました。でもB6判ハードカバーではなくコミック本主体で流石に昭和30年代の面影はなくなっていましたが・・・
現在50歳位~団塊の世代の方で当時の丹後、中丹地域の貸本屋事情をご存知の方が居られましたら情報求む!
1950年代後半(昭和30年代前半)に、大阪の小さな貸本専門出版社に集まった若き作家たちは新たなマンガ表現を追求し、その後のマンガのあり方を大きく変えていく!
新しい漫画を志す当時は無名の若手漫画家達が集まって「劇画工房」というものを結成しました。工房に参加した作家の作品には「劇画工房」として作家の名と共に表紙に明記していました。これは一般に言われる「マンガではないのだ」との主張のようでもありました。
劇画工房に参加した作家は、辰巳ヨシヒロ、さいとうたかお、佐藤まさあき、石川フミヤス、松本正彦、桜井昌一、山森ススム、K・元美津などの諸先生方でした。劇画の始まりは、劇画工房の「劇画」から広まって定着したようです。
「劇画」を最初に提唱したのが、辰巳ヨシヒロ氏です。氏は劇場の舞台で行われるようなリアルな新しい漫画を「劇画」と命名したようです。劇画の生みの母は辰巳ヨシヒロで育ての母はさいとうたかおと言うことになりますでしょうか。「劇画」と呼ぶには何ヶ条かの理屈が通ることが必要だったようです。つまり今までの『マンガ』に対してリアリティを追求したのです(忍者物だと「杉浦茂がマンガ」で「白土三平が劇画」という訳です)今では当たり前の表現方法ですが、この頃はとても斬新だったのです。この「劇画」の登場によって今までの手塚治虫氏の表現方法は古いとのレッテルを貼られますが、そこは手塚氏の事、巧みに「劇画」の要素を自分なりに租借して取り込んでいきます。
その代表作が『どろろ』ではないでしょうか?
こちらには、写真を三枚しか添付していません。
もっと見てみたい方は、下記のサイトもご覧下さい。
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かつて、子どもたちの生活に寄り添うように、貸本屋があった。そこでは時代劇やミステリ、怪奇もの、少女マンガなど、さまざまな作品が生まれ、愛され、消えていった。水木しげる、つげ義春、さいとう・たかをなど著名な作家を輩出した現代マンガ文化の原点を、多数のビジュアル、資料と共に紹介する貸本マンガ研究の決定版。
序章 貸本マンガの豊かな世界-戦後の貸本業界と貸本マンガ
1章 ヒーロー現る!-時代劇マンガの世界
2章 ミステリ、ハードボイルドの誘惑-探偵ものからアクションまで
3章 少女たちの夢のゆくえ-少女マンガの世界
4章 異世界への誘い-怪奇マンガの世界
5章 青春って何だ!?-貸本マンガの終焉と青春マンガ
終章 貸本マンガに溺れて
貸本漫画の様々なジャンルへの展開、衰退を説く。図版引用は少ないが、「貸本」という文化そのものが世間に与えた影響、出版の裏話も紹介されている。印象に残ったのは、現在「漫画」の主流ともいえる雑誌漫画では有り得ないような貸本漫画の自由さ。関連年表、貸本漫画家・出版社のリストも収録。
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我が家に春を伝えてくれる『タラの芽・たらの芽』
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2009/03/29 09:49
ワカメに続いて、我が家に春を伝えてくれる第2弾!!
それは『たらの芽』です。

「山菜の王者」とも「天ぷらの王様」とも言われています。
うどに似た香りとほのかな 苦さが春の到来を告げます。

たらの芽は、たらの木の枝先につく若芽です。
たらの木は、頂部の芽が摘まれてもすぐに脇から次の芽が伸びてくるからそれほどの心配はありません。
しかし、自然へのマナーとして二番芽は残しておきましょう。
山地に生える落葉低木で、枝数は少なく、茎葉に鋭いトゲがあります。
奈良時代から高級な山菜とされ、近年は山菜の王として需要は一層高まっており、最近では栽培もされています。
たらの木は一見ウルシに似ていますが、ウルシはトゲがないのですぐわかります。間違えないように要注意!!
20年程前に知人宅で初めて頂いたのですが、その美味しさにびっくり!
丹後に住んでいればこそで『良かったなぁ~』と思ったものでした。

教えてもらって近くを探してみたら家の周りに『あるわあるわ』いとも簡単に見つかりいっぱい自生しているではありませんか。
春の散歩がてら摘んで帰り、多いときは2~3日置きに食卓に並びます。

山菜といえばアクがあり、あく抜きが必要ですが『たらの芽』はそのまま、天ぷらにするだけと調理もいたって簡単!!
●別名 タラッポ、タラウド
●分類 うこぎ科 タラノキ属
ウコギ科の「たらの木」の芽で、たらの木はマッチの軸などに使われるやわらかい木で、 山野に自生し、4~5メートルの高さになります。地中を走る根から、どんどん繁殖します。
挿し木にしても簡単に付いてしまいます。
春になると茎の先端にふっくらとした芽が出ますので、これを採って食べます。 各茎で芽を一回採ってもその横から第2の芽が出るが、どんどん採り続けると弱って、 その枝は枯れてしまうと言われています。
私の経験ですと4~5回以上採ると弱りますしその頃になると苦味が増すようです。
出来れば2~3回採ったらそっとしておいてやるのが宜しいようで・・・よく山菜採りのマナーの例としてあげられる話ですね。
全国の山野に自生していますが、うっそうとした森の奥深くではなく、 比較的開かれた陽当たりの良い場所を好むようです。
野生のたらの芽は産地によっても違いますが、当地では3月下旬~4月下旬までが食べごろです。
芽が 5cmぐらいの時が香りがあってとてもおいしいです。
時々、スーパーなどで売っている場合もありますが、結構いいお値段です(高級食材です)
たらの芽を食べると『あ~今年も春がきたなァ』と実感します。
食べた事のない方は是非、一度ご賞味をお奨めします。
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それは『たらの芽』です。

「山菜の王者」とも「天ぷらの王様」とも言われています。
うどに似た香りとほのかな 苦さが春の到来を告げます。

たらの芽は、たらの木の枝先につく若芽です。
たらの木は、頂部の芽が摘まれてもすぐに脇から次の芽が伸びてくるからそれほどの心配はありません。
しかし、自然へのマナーとして二番芽は残しておきましょう。
山地に生える落葉低木で、枝数は少なく、茎葉に鋭いトゲがあります。
奈良時代から高級な山菜とされ、近年は山菜の王として需要は一層高まっており、最近では栽培もされています。
たらの木は一見ウルシに似ていますが、ウルシはトゲがないのですぐわかります。間違えないように要注意!!
20年程前に知人宅で初めて頂いたのですが、その美味しさにびっくり!
丹後に住んでいればこそで『良かったなぁ~』と思ったものでした。

教えてもらって近くを探してみたら家の周りに『あるわあるわ』いとも簡単に見つかりいっぱい自生しているではありませんか。
春の散歩がてら摘んで帰り、多いときは2~3日置きに食卓に並びます。

山菜といえばアクがあり、あく抜きが必要ですが『たらの芽』はそのまま、天ぷらにするだけと調理もいたって簡単!!
●別名 タラッポ、タラウド
●分類 うこぎ科 タラノキ属
ウコギ科の「たらの木」の芽で、たらの木はマッチの軸などに使われるやわらかい木で、 山野に自生し、4~5メートルの高さになります。地中を走る根から、どんどん繁殖します。
挿し木にしても簡単に付いてしまいます。
春になると茎の先端にふっくらとした芽が出ますので、これを採って食べます。 各茎で芽を一回採ってもその横から第2の芽が出るが、どんどん採り続けると弱って、 その枝は枯れてしまうと言われています。
私の経験ですと4~5回以上採ると弱りますしその頃になると苦味が増すようです。
出来れば2~3回採ったらそっとしておいてやるのが宜しいようで・・・よく山菜採りのマナーの例としてあげられる話ですね。
全国の山野に自生していますが、うっそうとした森の奥深くではなく、 比較的開かれた陽当たりの良い場所を好むようです。
野生のたらの芽は産地によっても違いますが、当地では3月下旬~4月下旬までが食べごろです。
芽が 5cmぐらいの時が香りがあってとてもおいしいです。
時々、スーパーなどで売っている場合もありますが、結構いいお値段です(高級食材です)
たらの芽を食べると『あ~今年も春がきたなァ』と実感します。
食べた事のない方は是非、一度ご賞味をお奨めします。
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ハリウッドでも頓挫した…「釣りキチ三平」ついに特撮実写映画化
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2009/03/28 10:27
『おくりびと』で第81回米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した滝田洋二郎監督(53)の最新作「釣りキチ三平」

伝説の釣り漫画「釣りキチ三平」が俳優、須賀健太(13)主演、滝田洋二郎監督(52)で実写映画化され劇場公開中です。
漫画家、矢口高雄氏(68)の代表作で、天才釣り少年が困難な獲物に挑む物語。
「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズで知られる日本VFX(視覚効果)界の最高峰・白組が参加。
風光明媚な自然美、迫力の釣り場面、幻の巨大魚を再現する。
日本を代表する釣り漫画が、スクリーンに“解禁”だ!
製作・配給の東映によると、実写化の企画は連載当初から毎年のように浮上しながら、圧倒的な筆力と専門知識でリアルに描かれた釣り場面が映像化困難とされ沈下。
ハリウッドも「クレイジーフィッシングボーイ」の題名でオファーしてきたが同じ理由で頓挫。釣り上げられない映画界のヌシ状態の企画だった。
だが、大自然との触れ合いでしか味わえない楽しさや人間の冒険心をくすぐる内容が、渇いた現代を潤すと映画化を決定。
「ALWAYS」シリーズなどの演技力を買われて主人公の三平役に抜てきされた須賀は、ほぼ未経験だった釣りを猛特訓。
「映画が公開されたたら釣りブームを起こしたいです!」とメキメキ腕を上げた。
漫画家、矢口高雄氏は三平役には須賀健太君以外、考えられないはまり役と大絶賛!
私もイメージがピッタリだと思います。
共演には三平の祖父、一平に渡瀬恒彦(63)、兄貴分で米国帰りのプロ釣り師・魚紳に塚本高史(25)。
人間ドラマをキッチリ描く手腕に定評のある滝田監督は「とてもやりがいのある原作。
作品のテーマである人、自然、釣りの素晴らしさを描きたかった」と大張りきり。
脚本を古沢良太氏(「ALWAYS」シリーズ、「キサラギ」)と製作陣は今をトキめく実力派ぞろいだ。秋田、山形と都内で約2カ月かけて撮影し、来春公開中。
原作では三平がカナダ、ハワイなど世界の秘境をめぐっているため、東映はシリーズ化も視野に。
松竹の「釣りバカ」と相乗人気となり釣りブームを起こすか!?
映画「釣りキチ三平」予告編が見れます。
http://www.youtube.com/watch?v=EPFoRxFpo1k
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『釣りキチ三平』 川釣りセレクション (1-16巻 全巻)
魚釣りが大好きな「釣りキチ」(「釣りキチガイ」の略、つまり熱狂的に釣りが好きな人のこと)少年三平が、日本中、世界中のさまざまな魚釣りに挑戦する釣り漫画である。日本を代表する釣り漫画であり、連載を終えてもなおファンが多く、矢口高雄の代表作となっている。韓国、台湾、イタリアでも出版され、特にイタリア語ではオリジナルソングも創られ好評を博した。現地のタイトル名は「SAMPEI」。2009年3月20日映画「釣りキチ三平」上映。
商品内容 :
1巻 アユ釣り編2巻 イワナ釣り編
3巻 おもしろ釣り編
4巻 ヤマメ釣り編5巻 コイ釣り編
6巻 イトウ釣り編7巻 イトウ釣り編 2
8巻 イトウ釣り編 39巻 おもしろ釣り編 2
10巻 秘伝アユ漁編 111巻 秘伝アユ漁編 2
12巻 渓流釣り編13巻 アカメ釣り編
14巻 怪魚釣り編15巻 ヘラブナ釣り編
16巻 アユ釣り編 2
釣りキチ三平 (1-16巻 全巻)は下記の関連サイトから購入できます。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/poppy1386/58884531.html
昨晩は『オフ会』で楽しい時間を過ごす事が出来ました!
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2009/03/26 09:56
昨晩は野田川にあるラーメン店チャクリキで一周年記念の『iSeeオフ会』がありまして、出席させて頂き楽しい時間を過ごす事が出来ました。
3/25(水) 19:00~22:00
会費:2.000円(飲み放題・食べ放題)
京都北部の地域密着型コミュニティとしてT-WAVEもiSeeもほぼ同時に2008年
2月に誕生しました。
http://www.tango-wave.jp/
~あなたも、丹後も、つながっている~
「T-WAVE」とは、インターネットを使って、京丹後市内外の人と人をつなぐ情報交流サイトです。丹後(Tango)に新たな波(WAVE)を起こし、そこから情報がうねりとなって広がり、人と人をつなげていくことを目指したサイトの愛称です。
また、「T」は、山陰への起点と若狭・北陸への起点、日本海から京阪神への起点に見立て、その接点に位置する京丹後市から全国に情報を発信していくことをイメージしています。
●T-WAVEの現在の会員数481名(会員以外でも参加可)
●iSeeの現在の会員数681名(会員にならないと参加不可)
iSeeとは・・・・iSeeは丹後地域の新しい活動の発端になることを目的にします。
ソーシャルネットワークキングサービスという手段を使い丹後地域の人々が情報を交換し、又共有し合うことで新しい活動が生まれることを期待しています。
今の丹後地域を映し出し、そしてより良い丹後地域になるように楽しみながら情報を発信していきましょう。
T-WAVEの会員さんの中にも、iSeeの会員さんを見かけます。
iSeeは完全会員制の為、現会員の紹介がなければ参加する事が出来ません。
iSeeにも参加してみたい方が居られましたら私にご連絡頂ければ紹介させて頂きます(メールアドレスをご連絡下さい)
もちろん、入会も年会費も一切、無料です
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過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。
3/25(水) 19:00~22:00
会費:2.000円(飲み放題・食べ放題)
京都北部の地域密着型コミュニティとしてT-WAVEもiSeeもほぼ同時に2008年
2月に誕生しました。
http://www.tango-wave.jp/
~あなたも、丹後も、つながっている~
「T-WAVE」とは、インターネットを使って、京丹後市内外の人と人をつなぐ情報交流サイトです。丹後(Tango)に新たな波(WAVE)を起こし、そこから情報がうねりとなって広がり、人と人をつなげていくことを目指したサイトの愛称です。
また、「T」は、山陰への起点と若狭・北陸への起点、日本海から京阪神への起点に見立て、その接点に位置する京丹後市から全国に情報を発信していくことをイメージしています。
●T-WAVEの現在の会員数481名(会員以外でも参加可)
●iSeeの現在の会員数681名(会員にならないと参加不可)
iSeeとは・・・・iSeeは丹後地域の新しい活動の発端になることを目的にします。
ソーシャルネットワークキングサービスという手段を使い丹後地域の人々が情報を交換し、又共有し合うことで新しい活動が生まれることを期待しています。
今の丹後地域を映し出し、そしてより良い丹後地域になるように楽しみながら情報を発信していきましょう。
T-WAVEの会員さんの中にも、iSeeの会員さんを見かけます。
iSeeは完全会員制の為、現会員の紹介がなければ参加する事が出来ません。
iSeeにも参加してみたい方が居られましたら私にご連絡頂ければ紹介させて頂きます(メールアドレスをご連絡下さい)
もちろん、入会も年会費も一切、無料です
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