イングロリアス・バスターズ【 映画市街地活性化計画 6 】

テーマ:◉ 映画市街地活性化計画
※映画市外地活性化計画では、気鋭の映画プロデューサー「シネマの真似師」による映画評論を中心に、不定期で連載をしております。


(C) 2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

・・・映画が始まると同時に、この監督の凄みを知ることとなる・・・

広大な農場の中に、ポツンと小屋が建っている。街からつながる一本道を一台の車が走ってくる。5章からなる映画のオープニング〜第1章はそんな場面で始まる。

途中退場者に映画料金を返金するというサービスは、作り手の自信の現れだが、正に「息もつかせない」状況が目の前に展開する。静かに〜不自然なくらい静かに進行する2人の登場人物による会話、ひとりはその小屋の主人である農夫、もうひとりはこの映画の主人公のひとり"ユダヤハンター"と呼ばれるナチスの大使、淡々とした対話劇の中に登場するパイプたばこの炎の揺らめきと、コップに注がれるミルクの不気味な白が、これから始まる劇的な物語を予感させる。誰も席を立てないことを確信する台詞の達人・タランティーノの凄みを見た。



映画は容赦なく敵兵を殺す、いや「殺す」という言葉では言いつくせない文字通り”血祭りにあげる“名誉なき野郎どもで編成された特殊部隊による過激な進軍と、家族をナチスに惨殺された娘による”映画的“復讐劇、そしてヒトラーとナチスによるユダヤ狩りと国威発揚の行状を重層的に描き、“映画館”という聖地での対決という象徴的なクライマックスに収斂されていく。

それぞれの物語が螺旋状にからまって見る側を幻惑させながら映画を牽引するのは、先述したファーストシーンをはじめ要所要所で登場する対話劇、すなわちテーブルを挟んで複数の人間がそれぞれの立場を背負って会話を始める時、その人物の背景が判っているだけに何気なく交わされる言葉の衝突、ほころび、ズレ、そして緊張が見る側を激しく揺さぶる。この監督が得意とする、あるいは才気が最も発揮される作劇術だ。そして対話は、その結末によって物語を大きく動かす起動装置となる。詳しく話したいところだが、ぜひ映画を見て堪能してもらいたい。



今回の映画でタランティーノは“民族”という宿命を抱えた人間の醜い相貌を執拗に描いてみせる。ゲルマン民族の偏執的な自己愛。そして狡猾、さらに有色人種(黒人)への露骨な差別的言辞。一方、ブラッド・ピット演ずる米国人のならず者のふてぶてしさ。彼は無感動な顔つきでナチス兵士の頭の皮を剥ぐことを命ずる。ユダヤ系米国人はバットで兵士の頭部をぶん殴ることで名を馳せる。復讐鬼と化した主人公のユダヤ人の巨大な顔が自身の映画館のスクリーンに写し出される時、彼女の尋常でない憎悪が見る側をとまどわせる。



この映画にまともな人間はいない。

憎しみ、裏切り、復讐、この地球上から戦争がなくなったことがないように、この世界に生きる人間は“人を憎む=人を殺す”という業に抗う理性を持ち得ないのか。報復の連続を自ら断ち切ることは出来ないのか。この映画を見た人は戦争エンタテインメントの中に現れる異常な人間たちの過剰な振る舞いを見て、ただその凄みに圧倒されつつ劇場を出ることになるだろう。


・・・シネマの真似師・・・・・・・・・・・・・・

劔岳 点の記【 映画市街地活性化計画 5 】

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(C)2009「劔岳 点の記」製作委員会

・・・劔岳・・・・


名作「八甲田山」で厳冬の雪山と、それを踏破せんとする日本陸軍の姿を見事に映像化したカメラマンが、自ら監督として誰もたどりつけない険しい山をひたすら歩く日本の明治の群像を、壮大な風景と対峙させ描いた大作(!)である。

時折発せられる何故登るのかの問いかけに「山があるから」などという言葉の修辞に逃げることなく、あくまで上官の命令による職務と言いながら、大きな測量機材を背負ってただひたすら歩き続ける姿に、カメラを担いで走り回る撮影者の姿を重ね合わせ、前人未到の地点にたどり着くことは誰も見たことのない風景を映像に切り取ることと同じだと言わんばかりの作者の声が聞こえ、この映画の物語としての偉業はまさに映画をつくるという行為へのエールなのだと理解した。

「仲間たち」としるされたエンドタイトルの名前の等価的な配列は、映画に関わる全ての人への表明である。
映画は多くの人々の情熱の結晶なのだ、と。


・・・シネマの真似師・・・・・・・・・・・・・・

スラムドッグ$ミリオネア【 映画市街地活性化計画 4 】

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(C)2008 Celador Films and Channel 4 Television Corporation

・・・過酷な運命に動じない心だけが「答え」を見つけることが出来る・・・・

インド、ムンバイのスラム街、迷路のようなバラックの間を縫うように少年は走る。カメラはアングルを変え、ある時は上空から、ある時は路地の奥から彼の姿を追う。彼は追手の男たちはもちろんカメラからも逃れるように疾走する。周りの風景までもが彼の走りに呼応するように揺れ始め躍動する。映画の疾走を目の当たりにして見る側はその画面の息づかいに酔う。

映画の冒頭 少年時代の主人公の姿を映し出す洪水のような映像は、この映画の物語、つまり彼がいかにスラムを生き、生きる目的を見い出し、クイズミリオネアを駆け抜け、小さな夢を掴もうとするまでの人生の波乱をすでに予告している。次々と彼の前に立ちはだかる障害も、強い意志と持ち前の陽気さで乗り越えていく、そんな少年の数年間の成長を、映画は猛スピードで織り上げて行く。スラムの極貧の現実、子供を食物(くいもの)にする大人達、番組司会者の企み、警察の理不尽な暴力、それら全てが彼の起こす奇跡の前に色あせてしまう。悲惨でありながら幸福感に満ちあふれ、目を覆いたくなる残酷さと、思わず手を握るサスペンスと、信じられない純愛の行方、様々な主題が混在し、最後には人生にとって大切なことはあきらめないことだと改めて見る者に思い起こさせてくれる。ヒトの一生はクイズのように正解があるわけでない、それでも自分を信じる少年は偶然をも味方につけてクイズミリオネアを、そして自身の境遇を勝ちあがる。

この物語のユニークさは「答え」の全てがスラムでの日常にあるというところだ。そんなことあるはずがない、しかしあるはずのないことが目の前で起こる幻惑、スラムは人間性を歪めるが、そんな過酷な運命に動じない心だけが「答え」を見つけることが出来る。

主人公ジャマールの自信なさ気な表情の奥にある勇気に、見る者は教えられる。 悪意の微笑み、慈愛深いまなざし、あらがえない力への諦念と反抗、希望に満ちた逃走の必死の形相、主人公を始め登場人物ひとりひとりの表情が強く記憶に残る。

ラスト、インド映画へのオマージュを捧げた大団円に感激しながら、つくづくいい映画だと思った。


・・・シネマの真似師・・・・・・・・・・・・・・

グラン・トリノ【 映画市街地活性化計画 3 】

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※映画市外地活性化計画では、気鋭の映画プロデューサー「シネマの真似師」による映画評論を中心に、不定期で連載をしております。


(c) 2009 Warner Bros. Entertainment Inc. and Village
Roadshow Films (BVI) Limited. All Rights Reserved.

・・・イーストウッドが生きていてくれることへの感謝・・・・

映画は最愛の妻の葬儀の場面で始まる。

参列する親族ひとりひとりの姿と、主人公の老人の苦々しい表情が交互に繰り返され、この物語の主題のひとつ、厳格な家長とその家族の間にある隔たりの大きさ、さらに映画が進むにつれ、それは家族だけではなく彼の周りの全てに敵意のように向けられているもの、つまり「老い」ることの不寛容さが見てとれる。そしてこの老人の頑固さが物語にどんな結末を導き入れるのか。見る側の想像をかきたて、私たちを画面に釘付けにする。

私たちがアメリカ映画の中で見続けてきた、見慣れた街並、そんな住宅街の中に老人はひとり暮らしている。庭先の芝を刈ることを日課とし、数少ない気の合う仲間とビールを飲んで昔話をすることを楽しみにしている。ことあるごとに戦争体験を口にし、「アメリカ以外」の全てを罵倒し、家の前に星条旗を掲げる。絵に描いたようなアメリカ人の姿がそこにはある。そしてそんな彼がガレージに大切に保管しているのがフォード社(!)製名車「グラントリノ」である。しかし、そんなかたくなな暮らしぶりも、時代の変化に逆らうことは出来ない。彼の住む住宅の周辺は全てアジア系移民やラテン系移民で占拠されているのだ。

ここにこの映画のふたつめの主題・異文化との関係の困難さがある。映画は、彼が周囲の異なる人々と、「あること」を契機に同化していく物語でもある。その「あること」とは隣に住むアジア系移民の家族との関わりであり、モン族の少女の快活さが彼の頑固さを解放し、祈祷師の神秘的な「まじない」が彼の本質を言い当てることである。そしてその家族、モン族の少年との出会いを契機に物語は大きく動き始める。この映画のもっとも感動的な主題・年老いた者が若者の成長に如何に関わるべきか、もっと言えば人は次世代に何をどう伝えるべきかが物語の進行と共に明らかになっていく。

 彼の愛した「グラントリノ」が
 彼がいつも手にする「ライター」が
 彼のホコリの象徴である「勲章」が

どのように、誰の手に渡っていくか、映画の中で見届けていただきたい。

ヒトは必ず老いる。とするなら、その老い方がその人の人生を物語り、その意味を決定する。クリント・イーストウッドという映画人が最後の出演作で自身の肉体を賭してそのことを証明している。

ただ凄いとしか言いようがない。


・・・シネマの真似師・・・・・・・・・・・・・・

泣ける映画【 映画市街地活性化計画 1 】

テーマ:◉ 映画市街地活性化計画
手で頬を押さえながら主人公のパコは、満面の笑顔で、ワガママな大男に絵本を読んでくれるようにせがむ。

何度か繰り返される同じ場面が、回を追うごとに見る側の感情に揺さぶりをかける。

「手で顔を押さえる」ことが、彼女の失われたはずの記憶を「呼び醒ます」ことを期待させる。

周囲の登場人物・皆がそう思い始め、見る側もそう願う。



        (C)2008 「パコと魔法の絵本」製作委員会

大男の表情は次第に和らぎ、周りの奇妙な人達はそれぞれが問題を抱えながら、パコへのプレゼントを準備することで、それぞれの現実に向き合い始める。

そして、映画は結末へ向けて疾走し始める。



        (C)2008 「パコと魔法の絵本」製作委員会

中島哲也の卓越した演出に見る側の心は自在にあやつられる。

ハンカチを持って劇場へ行くことで来たるべき事態に備えなくてはならない。
泣ける映画だ。



        (C)2008 「パコと魔法の絵本」製作委員会

パコと魔法の絵本
11月22日(土)より上映

序文【 映画市街地活性化計画 】

テーマ:◉ 映画市街地活性化計画



近年、都市近郊型の劇場の増加により、全国的に見て昔からある田舎の映画館は次々と閉館に追い込まれている。このままでは、田舎は「映画過疎地」に追い込まれるかもしれない。

そんな逆風の中、
2007年8月4日「福知山シネマ」は誕生した。


昔の映画最盛期を知らない人にとっては、田舎に映画館がないということが普通かもしれないが、福知山には映画館が3つあったという事実がある。
(駅前に1館、広小路通りに2館)

昔、福知山は映画の町であった。
全国に映画館がたくさんあり、映画は身近に溢れていた。


福知山シネマは、日本の映画最盛期の威光や思い出にすがるのではなく、もっと根本的な部分に「市外地の人々と映画との関係」の回復への希望を見いだしている。

田舎でアート系作品やドキュメント作品を上映するのも一つの挑戦ではある。
ただ、根本的な部分とは「映画館が身近に存在すること」であり、映画館が存続し続けることで市外地の映画文化の活性化をうながしていく事に強い使命感を感じている。

映画館を続けることは大変なことである。
それでも、市外地にある映画館一つ一つが「映画の闘士」としての宿命を背負い、底辺から支え続ける事から生み出される力こそ信じたい。


続けるから何かが変わるのではなく、
変わる時の為に続けるのである。


映画市外地活性化計画では、気鋭の映画プロデューサー「シネマの真似師」による映画評論を中心に連載していく事になるが、不定期の連載となる為、暖かく見守っていただきたい。

2008.11.18
福知山シネマ

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