京都府福知山市の映画館。ラインナップが少し不思議な映画館。
ご家族でお楽しみいただける娯楽作と、映画プロデューサーも兼ねる支配人が
選りすぐった硬派な作品を上映しています。
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M. Night Shyamalan監督の魅力
テーマ:◉ 映 画 情 報
2008/10/02 18:46
M・ナイト・シャマラン(M. Night Shyamalan)という人物
インドのポンディチェリーの医師の家系に生まれ、幼少の頃にアメリカ・フィラデルフィアへ移住。8才の時両親から8ミリカメラをプレゼントされて映画を撮り始め、その後ニューヨーク大学に進学して映画製作を学ぶ。1998年、『翼のない天使』でメジャー進出、続く『シックス・センス』の興行的成功で一躍有名になる。
『シックスセンス』以降の栄光と苦難...
『シックスセンス』における、シャマラン流の"ラストシーンのどんでん返し"は、確信犯的な伏線と緻密な映画の構造も相まって熱狂的なファンを獲得するに至った。だが、『シックスセンス』後のハリウッドのサスペンス/ミステリー映画はシャマラン風"どんでん返しスタイル"な映画が量産され、その事により粗悪な映画も多く生まれ、現在はそのインフレ化によって観客、配給共に食傷気味になってきているといえるだろう。
その逆風の煽りをまともにうけているのは、実は他でもないシャマラン監督であったりもする。下記にこれまでの監督作品を明記してみたが、『シックスセンス』ムーブメントから、過度の期待にさらされたためか『サイン』以降は批評的・興行的にも落ち込み、監督として苦境にたたされていることがわかる(特に、イメージの払拭をはかった"どんでん返し"のない作品、『レディ・イン・ザ・ウォーター』は最大の興行的失敗となった)。
1992年『Playing with Anger』(脚本・監督)
1997年『Lobor of Love』(脚本)
1997年『翼のない天使』(脚本・監督)
1999年『シックス・センス』(脚本・監督・出演)
1999年『スチュアート・リトル』(脚本)
2000年『アンブレイカブル』(脚本・製作・監督・出演)
2002年『サイン』(脚本・製作・監督・出演)
2004年『ヴィレッジ』(脚本・製作・監督)
2006年『レディ・イン・ザ・ウォーター』(脚本・製作・監督・出演)
2008年『ハプニング』(脚本・監督・声のみの出演)
現在のハリウッドのスタジオシステム(スタッフの分業制)において、自分の思う通りに作品を作らせてもらえる監督というのは数えるほどである。その中でシャマラン監督は『シックスセンス』以降のすべての監督作を自分の企画によって作家主義的に作ってきているというのは、数少ない才能のある監督の放つ威光であることは言うまでもない。
映画監督生命の危機に瀕しているともいえるシャマラン監督ではあるが、いまだ全世界の熱狂的なファンから次回作を心待ちにされている事実は、アメコミの映画化やリメイクに頼り切りのハリウッドの映画界において、高度な実験精神と深謀に満ちた刺激的な映画への期待の裏返しともとれる。
M・ナイト・シャマラン監督作の魅力
"ラストシーンのどんでん返し"が代名詞になってはいるが、それが魅力につながっていると考えるのはいささかかんたん過ぎる。シナリオの出来・不出来は作品によってあるが、諸作がシャマラン監督作品足り得るのは、ラストシーンに至るまでの映画構造の組み立て方にある。つまり、観客の不安と好奇心を高めていく緻密な構成(ヒッチコックのサスペンス手法を抽出し、誇張したような表現手法)と、どっしりと構えたカメラワークである。とんでもない事が起こりそうな不安と期待、実際に起こってしまう恐怖...それが映画技法の積み重ねと説得力のある映像によって語られていく...。そのロジックだけではない映画的魅力を前にすると、"ラストシーンのどんでん返し"信仰ともいえる『シックスセンス』ムーブメントがいかにミーハーで浅はかだったことかと痛感させられないだろうか。
監督最新作『ハプニング』
STORY:ある日突然、アメリカ全土からミツバチが消えるという異常現象を皮切りに、世界中の人々が突然死に至る病がまん延し始める。人類滅亡の危機を前に世界はパニックに陥っていた。その地球危機の中で主人公(マーク・ウォールバーグ)は家族を守るために安全な土地を目指し、迫りくる何かに追い込まれながらも、希望を捨てずに原因究明と家族のために逃避行を続けるが……。
まさに、シャマラン的とも言える壮大な内容になっている本作は、突然やってくる世界の破滅を描いた作品との事で、主人公の家族視点で物語が語られていくという一人称視点の為、事の全貌が見えないという心理的不安をかきたてていくのであろう。また、今回は"人という一つの物体"が"見えないなにか"により排除されていく過程をまざまざと見せていくため、人間という存在の定義という哲学的なメッセージが含まれているのではないかと思う。また、9.11以降のアメリカにおけるテロリズムに対する恐怖とは全く違った視点で描いた壮大な作品なのかもしれない。
実際に映画を見てみなければわからないのが、シャマラン映画である。
蓋を開けてみるとこういった予測をあっけなく裏切ってくれるいさぎの良さ(バカバカしさ)があったりするが、うっかり見せてしまったシャマラン監督自身の恐怖映画への子供っぽい愛情のようで、少しかわいくもある。
ハプニング / 福知山シネマにて10月11日より公開
インドのポンディチェリーの医師の家系に生まれ、幼少の頃にアメリカ・フィラデルフィアへ移住。8才の時両親から8ミリカメラをプレゼントされて映画を撮り始め、その後ニューヨーク大学に進学して映画製作を学ぶ。1998年、『翼のない天使』でメジャー進出、続く『シックス・センス』の興行的成功で一躍有名になる。
『シックスセンス』以降の栄光と苦難...
『シックスセンス』における、シャマラン流の"ラストシーンのどんでん返し"は、確信犯的な伏線と緻密な映画の構造も相まって熱狂的なファンを獲得するに至った。だが、『シックスセンス』後のハリウッドのサスペンス/ミステリー映画はシャマラン風"どんでん返しスタイル"な映画が量産され、その事により粗悪な映画も多く生まれ、現在はそのインフレ化によって観客、配給共に食傷気味になってきているといえるだろう。
その逆風の煽りをまともにうけているのは、実は他でもないシャマラン監督であったりもする。下記にこれまでの監督作品を明記してみたが、『シックスセンス』ムーブメントから、過度の期待にさらされたためか『サイン』以降は批評的・興行的にも落ち込み、監督として苦境にたたされていることがわかる(特に、イメージの払拭をはかった"どんでん返し"のない作品、『レディ・イン・ザ・ウォーター』は最大の興行的失敗となった)。
1992年『Playing with Anger』(脚本・監督)
1997年『Lobor of Love』(脚本)
1997年『翼のない天使』(脚本・監督)
1999年『シックス・センス』(脚本・監督・出演)
1999年『スチュアート・リトル』(脚本)
2000年『アンブレイカブル』(脚本・製作・監督・出演)
2002年『サイン』(脚本・製作・監督・出演)
2004年『ヴィレッジ』(脚本・製作・監督)
2006年『レディ・イン・ザ・ウォーター』(脚本・製作・監督・出演)
2008年『ハプニング』(脚本・監督・声のみの出演)
現在のハリウッドのスタジオシステム(スタッフの分業制)において、自分の思う通りに作品を作らせてもらえる監督というのは数えるほどである。その中でシャマラン監督は『シックスセンス』以降のすべての監督作を自分の企画によって作家主義的に作ってきているというのは、数少ない才能のある監督の放つ威光であることは言うまでもない。
映画監督生命の危機に瀕しているともいえるシャマラン監督ではあるが、いまだ全世界の熱狂的なファンから次回作を心待ちにされている事実は、アメコミの映画化やリメイクに頼り切りのハリウッドの映画界において、高度な実験精神と深謀に満ちた刺激的な映画への期待の裏返しともとれる。
M・ナイト・シャマラン監督作の魅力
"ラストシーンのどんでん返し"が代名詞になってはいるが、それが魅力につながっていると考えるのはいささかかんたん過ぎる。シナリオの出来・不出来は作品によってあるが、諸作がシャマラン監督作品足り得るのは、ラストシーンに至るまでの映画構造の組み立て方にある。つまり、観客の不安と好奇心を高めていく緻密な構成(ヒッチコックのサスペンス手法を抽出し、誇張したような表現手法)と、どっしりと構えたカメラワークである。とんでもない事が起こりそうな不安と期待、実際に起こってしまう恐怖...それが映画技法の積み重ねと説得力のある映像によって語られていく...。そのロジックだけではない映画的魅力を前にすると、"ラストシーンのどんでん返し"信仰ともいえる『シックスセンス』ムーブメントがいかにミーハーで浅はかだったことかと痛感させられないだろうか。
監督最新作『ハプニング』
STORY:ある日突然、アメリカ全土からミツバチが消えるという異常現象を皮切りに、世界中の人々が突然死に至る病がまん延し始める。人類滅亡の危機を前に世界はパニックに陥っていた。その地球危機の中で主人公(マーク・ウォールバーグ)は家族を守るために安全な土地を目指し、迫りくる何かに追い込まれながらも、希望を捨てずに原因究明と家族のために逃避行を続けるが……。
まさに、シャマラン的とも言える壮大な内容になっている本作は、突然やってくる世界の破滅を描いた作品との事で、主人公の家族視点で物語が語られていくという一人称視点の為、事の全貌が見えないという心理的不安をかきたてていくのであろう。また、今回は"人という一つの物体"が"見えないなにか"により排除されていく過程をまざまざと見せていくため、人間という存在の定義という哲学的なメッセージが含まれているのではないかと思う。また、9.11以降のアメリカにおけるテロリズムに対する恐怖とは全く違った視点で描いた壮大な作品なのかもしれない。
実際に映画を見てみなければわからないのが、シャマラン映画である。
蓋を開けてみるとこういった予測をあっけなく裏切ってくれるいさぎの良さ(バカバカしさ)があったりするが、うっかり見せてしまったシャマラン監督自身の恐怖映画への子供っぽい愛情のようで、少しかわいくもある。
ハプニング / 福知山シネマにて10月11日より公開
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