京都府福知山市の映画館。ラインナップが少し不思議な映画館。

ご家族でお楽しみいただける娯楽作と、映画プロデューサーも兼ねる支配人が
選りすぐった硬派な作品を上映しています。

アバター【 映画主義宣言(反民主主義的考察)】【1】

テーマ:◉ 映画主義宣言(反民主主義的考察)
※突然ですが映画市外地活性化計画は、今回より【 映画主義宣言(反民主主義的考察) 】に名前を変更します。

引き続き、気鋭の映画プロデューサー「シネマの真似師」による映画評論を中心に、不定期で連載をしていきますので、ご愛読よろしくお願い致します。



(C)2009 Twentieth Century Fox. All rights reserved.

・・・アバターを見た・・・・

森の惑星パンドラ - 巨大な木々がそびえ、緑が生い茂り、多種多様の動植物が共生する星。先住民ナヴィもその群れをつくる構成員のひとつだ。登場する生き物たちを見ながら、その過剰ともいえる造型にこの映画「タイタニック」の監督の過去の作品(「エイリアン2」「アビス」など)を思い起こしつつ、「崖の上のポニョ」の作家の多くの作品の記憶がよみがえった。

文明崩壊後の大自然を走りまわる少年・コナンや空を自由に飛行するナウシカは、森の中を自在に跳びまわり巨大怪鳥を自在に操るナヴィに姿を変えた。「天空の城」を連想させる空飛ぶ山々、破壊の象徴である戦闘機の圧倒的なありさまは、宮崎作品で何度となく登場する巨大戦闘機の「異様」だ。無数の王蟲や、巨大イノシシの暴走の怒りは、突然現れる森の恐竜たちに受けつがれている。



数え上げればきりがないが、何といってもこの「アバター」に登場する細部と同様に、壮大な物語を構成する支えとなっている思想は、宮崎駿氏が描き続けてきたものと同じ主題によって成り立っている。

すなわち、文明の行き着く果ての姿、大自然の摂理に逆らう自称“文明人”、テクノロジー至上主義経済を下支えする資源開発と目的達成のための手段としての戦争、先住民が持つ自然との調和を軸とする世界観を「下等」「未開」という言葉で蔑視し、自分たちの文明こそ優位とする奢りと不寛容、近代地球上で行われてきた戦争の全てがこのあまりにも「単純な論理に」よって正当化されてきた人類の歴史。

その動かし難い巨大な構造と人間の愚かさへの諦念とそれを乗り越えんとする「希望」の存在。いつも人は失って初めて事の重大さを知る。宮崎氏が自作を通じて訴え続けてきたテーマが「アバター」の根底には脈々と流れている。



さらに、アニメと実写(CG)の境を越えて、画面上で表象されるもの、その方法が似通っている。

「聖なる存在とグロテスク」―先にも述べた過剰な造型の動物たちは決して他を排除するために生きるのではなく、森の共生関係を壊さんとするものに対してのみ攻撃的にその異形を誇示する。

宮崎作品の中でグロテスクな存在はいつも、その内に切実さを抱え、堕落した社会や精神の苦難を一身に引き受ける聖なる存在であった。「アバター」全体に登場する生物のグロテスクな姿は、しかし、その中に共存のための智恵を持ち、自然に対する畏怖と信仰の下に生き抜く意志に貫かれている。伸びる枝状の細い触手による生命の神秘的な伝播、それによって主人公は死と再生の間を軽々と乗り越えて甦生する。聖なるものは、主人公の意思を死滅させてはいけない時、何かの死と引き換えに、その意思を肉体と一緒に甦らせるのだ。宮崎作品に通ずるイメージでもある。

大仕掛けの特撮映像に目を奪われがちだが、冷静に作品を見ればとてもシンプルな構造の物語であり、作者が描く主題は、まさに「地球環境」が声高に叫ばれている今、しっかりと受けとめなければいけないものだ。

上映は「2D」によるものだが、だからといってこの映画の精神が色あせることはない。「3D」であることと、この映画を「見る」こととは全く違う作業だと思う。


・・・シネマの真似師・・・・・・・・・・・・・・

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