京都府福知山市の映画館。ラインナップが少し不思議な映画館。
ご家族でお楽しみいただける娯楽作と、映画プロデューサーも兼ねる支配人が
選りすぐった硬派な作品を上映しています。
ご家族でお楽しみいただける娯楽作と、映画プロデューサーも兼ねる支配人が
選りすぐった硬派な作品を上映しています。
イングロリアス・バスターズ【 映画市街地活性化計画 6 】
テーマ:◉ 映画市街地活性化計画
2009/12/21 10:37
※映画市外地活性化計画では、気鋭の映画プロデューサー「シネマの真似師」による映画評論を中心に、不定期で連載をしております。

(C) 2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.
・・・映画が始まると同時に、この監督の凄みを知ることとなる・・・
広大な農場の中に、ポツンと小屋が建っている。街からつながる一本道を一台の車が走ってくる。5章からなる映画のオープニング〜第1章はそんな場面で始まる。
途中退場者に映画料金を返金するというサービスは、作り手の自信の現れだが、正に「息もつかせない」状況が目の前に展開する。静かに〜不自然なくらい静かに進行する2人の登場人物による会話、ひとりはその小屋の主人である農夫、もうひとりはこの映画の主人公のひとり"ユダヤハンター"と呼ばれるナチスの大使、淡々とした対話劇の中に登場するパイプたばこの炎の揺らめきと、コップに注がれるミルクの不気味な白が、これから始まる劇的な物語を予感させる。誰も席を立てないことを確信する台詞の達人・タランティーノの凄みを見た。

映画は容赦なく敵兵を殺す、いや「殺す」という言葉では言いつくせない文字通り”血祭りにあげる“名誉なき野郎どもで編成された特殊部隊による過激な進軍と、家族をナチスに惨殺された娘による”映画的“復讐劇、そしてヒトラーとナチスによるユダヤ狩りと国威発揚の行状を重層的に描き、“映画館”という聖地での対決という象徴的なクライマックスに収斂されていく。
それぞれの物語が螺旋状にからまって見る側を幻惑させながら映画を牽引するのは、先述したファーストシーンをはじめ要所要所で登場する対話劇、すなわちテーブルを挟んで複数の人間がそれぞれの立場を背負って会話を始める時、その人物の背景が判っているだけに何気なく交わされる言葉の衝突、ほころび、ズレ、そして緊張が見る側を激しく揺さぶる。この監督が得意とする、あるいは才気が最も発揮される作劇術だ。そして対話は、その結末によって物語を大きく動かす起動装置となる。詳しく話したいところだが、ぜひ映画を見て堪能してもらいたい。
今回の映画でタランティーノは“民族”という宿命を抱えた人間の醜い相貌を執拗に描いてみせる。ゲルマン民族の偏執的な自己愛。そして狡猾、さらに有色人種(黒人)への露骨な差別的言辞。一方、ブラッド・ピット演ずる米国人のならず者のふてぶてしさ。彼は無感動な顔つきでナチス兵士の頭の皮を剥ぐことを命ずる。ユダヤ系米国人はバットで兵士の頭部をぶん殴ることで名を馳せる。復讐鬼と化した主人公のユダヤ人の巨大な顔が自身の映画館のスクリーンに写し出される時、彼女の尋常でない憎悪が見る側をとまどわせる。

この映画にまともな人間はいない。
憎しみ、裏切り、復讐、この地球上から戦争がなくなったことがないように、この世界に生きる人間は“人を憎む=人を殺す”という業に抗う理性を持ち得ないのか。報復の連続を自ら断ち切ることは出来ないのか。この映画を見た人は戦争エンタテインメントの中に現れる異常な人間たちの過剰な振る舞いを見て、ただその凄みに圧倒されつつ劇場を出ることになるだろう。
・・・シネマの真似師・・・・・・・・・・・・・・

(C) 2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.
・・・映画が始まると同時に、この監督の凄みを知ることとなる・・・
広大な農場の中に、ポツンと小屋が建っている。街からつながる一本道を一台の車が走ってくる。5章からなる映画のオープニング〜第1章はそんな場面で始まる。
途中退場者に映画料金を返金するというサービスは、作り手の自信の現れだが、正に「息もつかせない」状況が目の前に展開する。静かに〜不自然なくらい静かに進行する2人の登場人物による会話、ひとりはその小屋の主人である農夫、もうひとりはこの映画の主人公のひとり"ユダヤハンター"と呼ばれるナチスの大使、淡々とした対話劇の中に登場するパイプたばこの炎の揺らめきと、コップに注がれるミルクの不気味な白が、これから始まる劇的な物語を予感させる。誰も席を立てないことを確信する台詞の達人・タランティーノの凄みを見た。

映画は容赦なく敵兵を殺す、いや「殺す」という言葉では言いつくせない文字通り”血祭りにあげる“名誉なき野郎どもで編成された特殊部隊による過激な進軍と、家族をナチスに惨殺された娘による”映画的“復讐劇、そしてヒトラーとナチスによるユダヤ狩りと国威発揚の行状を重層的に描き、“映画館”という聖地での対決という象徴的なクライマックスに収斂されていく。
それぞれの物語が螺旋状にからまって見る側を幻惑させながら映画を牽引するのは、先述したファーストシーンをはじめ要所要所で登場する対話劇、すなわちテーブルを挟んで複数の人間がそれぞれの立場を背負って会話を始める時、その人物の背景が判っているだけに何気なく交わされる言葉の衝突、ほころび、ズレ、そして緊張が見る側を激しく揺さぶる。この監督が得意とする、あるいは才気が最も発揮される作劇術だ。そして対話は、その結末によって物語を大きく動かす起動装置となる。詳しく話したいところだが、ぜひ映画を見て堪能してもらいたい。
今回の映画でタランティーノは“民族”という宿命を抱えた人間の醜い相貌を執拗に描いてみせる。ゲルマン民族の偏執的な自己愛。そして狡猾、さらに有色人種(黒人)への露骨な差別的言辞。一方、ブラッド・ピット演ずる米国人のならず者のふてぶてしさ。彼は無感動な顔つきでナチス兵士の頭の皮を剥ぐことを命ずる。ユダヤ系米国人はバットで兵士の頭部をぶん殴ることで名を馳せる。復讐鬼と化した主人公のユダヤ人の巨大な顔が自身の映画館のスクリーンに写し出される時、彼女の尋常でない憎悪が見る側をとまどわせる。

この映画にまともな人間はいない。
憎しみ、裏切り、復讐、この地球上から戦争がなくなったことがないように、この世界に生きる人間は“人を憎む=人を殺す”という業に抗う理性を持ち得ないのか。報復の連続を自ら断ち切ることは出来ないのか。この映画を見た人は戦争エンタテインメントの中に現れる異常な人間たちの過剰な振る舞いを見て、ただその凄みに圧倒されつつ劇場を出ることになるだろう。
・・・シネマの真似師・・・・・・・・・・・・・・
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