京都府福知山市の映画館。ラインナップが少し不思議な映画館。
ご家族でお楽しみいただける娯楽作と、映画プロデューサーも兼ねる支配人が
選りすぐった硬派な作品を上映しています。
ご家族でお楽しみいただける娯楽作と、映画プロデューサーも兼ねる支配人が
選りすぐった硬派な作品を上映しています。
松本清張とは
テーマ:◉ 映 画 情 報
2010/01/04 12:47
人間と社会の闇を追い続けた執念の作家、
松本清張は2009年12月21日、生誕100年を迎えた。

松本清張(本名は「きよはる」と読む)は1909(明治42)年12月21日、福岡県企救郡板櫃村(現在の北九州市小倉北区)で生まれた。貧しい少年時代を送った松本清張は15歳で尋常高等小学校高等科を卒業後、電気会社の給仕や石版印刷の見習職人として過ごしながら、芥川龍之介や菊池寛らの文学に親しんだ。文学仲間がプロレタリア文芸雑誌を購読していたため、警察に検挙、一時拘置された経験も持つ。

戦争中の徴兵を挟んで朝日新聞社の広告意匠係としてポスターデザインなどをしていた松本清張は1950(昭和25)年、処女作「西郷札」が「週刊朝日」の懸賞小説に応募し入選。これが人生の大きな転機となる。同作品は第25回直木賞候補作となり、「或る『小倉日記』伝」が第28回芥川賞を受賞。この時、松本清張は44歳。作家としては遅いスタートだった。

しかし、小倉から上京した松本清張は旺盛な創作意欲で次々と作品を発表、「点と線」「眼の壁」はベストセラーとなり、社会派推理小説ブームを巻き起こした。また、流行語となった「日本の黒い霧」などのノンフィクションや、学界にも影響を与えた邪馬台国や飛鳥時代など古代史に関する研究、「文豪」「菊枕」など人物評伝を発表したほか、社会派作家として政治や社会問題の分野でも精力的に活動を行った。

自著「半生の記」で「濁った暗い半生」と振り返るように、不遇な少年時代を過ごした松本清張は、社会の裏に隠れる不正や不条理を暴き、人間の本性を追求する姿勢を一貫して忘れなかった。また、1978(昭和53)年に野村芳太郎監督らと「霧プロダクション」を設立したように、自身の作品の映像化にも強い関心を持っていた。ストーリーの面白さ、強いリアリズムを持つ作品は数々の映画やテレビドラマの原作として取り上げられ、最近でも「砂の器」「黒革の手帖」「点と線」「ゼロの焦点」などリメークが続く。

ゼロの焦点
1月16日(土)公開
松本清張は2009年12月21日、生誕100年を迎えた。

松本清張(本名は「きよはる」と読む)は1909(明治42)年12月21日、福岡県企救郡板櫃村(現在の北九州市小倉北区)で生まれた。貧しい少年時代を送った松本清張は15歳で尋常高等小学校高等科を卒業後、電気会社の給仕や石版印刷の見習職人として過ごしながら、芥川龍之介や菊池寛らの文学に親しんだ。文学仲間がプロレタリア文芸雑誌を購読していたため、警察に検挙、一時拘置された経験も持つ。

戦争中の徴兵を挟んで朝日新聞社の広告意匠係としてポスターデザインなどをしていた松本清張は1950(昭和25)年、処女作「西郷札」が「週刊朝日」の懸賞小説に応募し入選。これが人生の大きな転機となる。同作品は第25回直木賞候補作となり、「或る『小倉日記』伝」が第28回芥川賞を受賞。この時、松本清張は44歳。作家としては遅いスタートだった。

しかし、小倉から上京した松本清張は旺盛な創作意欲で次々と作品を発表、「点と線」「眼の壁」はベストセラーとなり、社会派推理小説ブームを巻き起こした。また、流行語となった「日本の黒い霧」などのノンフィクションや、学界にも影響を与えた邪馬台国や飛鳥時代など古代史に関する研究、「文豪」「菊枕」など人物評伝を発表したほか、社会派作家として政治や社会問題の分野でも精力的に活動を行った。

自著「半生の記」で「濁った暗い半生」と振り返るように、不遇な少年時代を過ごした松本清張は、社会の裏に隠れる不正や不条理を暴き、人間の本性を追求する姿勢を一貫して忘れなかった。また、1978(昭和53)年に野村芳太郎監督らと「霧プロダクション」を設立したように、自身の作品の映像化にも強い関心を持っていた。ストーリーの面白さ、強いリアリズムを持つ作品は数々の映画やテレビドラマの原作として取り上げられ、最近でも「砂の器」「黒革の手帖」「点と線」「ゼロの焦点」などリメークが続く。

ゼロの焦点
1月16日(土)公開
コメント
トラックバック
この記事のトラックバック URL :
http://blog.chatta.jp/fukuchiyamacinema/trackback/6515
http://blog.chatta.jp/fukuchiyamacinema/trackback/6515

